偶像人生ゲーム①:22歳、調子に乗った駆け出しPRパーソンが選んだ街「神保町」。

東京カレンダーの連載が面白かったので自分に当てはめつつ、
思い出の飲食店や書籍なんかをピックアップする、完全に横道それそれな内容。
どうせ誰が見るでもなし。棚卸しも兼ねて。


「PR業界を変える」

そんな厨二病的な理想を高らかに掲げ、社会人生活をスタート。

就職活動では、PR業界に絞ってピンポイントで活動、結果的に
PR会社としては後発の部類に入るベンチャーに入社。この時の
勢いはすごかった。

よく、「なんでPRなの?」って聞かれたけど、単純に
「完全に無から記事を生み出せるから」みたいなかっこつけた答えを
よくしていた。でも、まあそうだと今でも思う。

PRに目を向けるきっかけになったのは
「戦争広告代理店」という本。情報戦略についてなんだけど、
PRという概念をこれで知った。


学生時代の終わりに、長く付き合ってた彼女とあっけない終わりを迎え、
意気揚々と入社。

社会人生活最初に住んだ街が、神保町。
正しくは、神保町と九段下の中間くらい。集英社の超近く。

これもよく「なんで?」って聞かれるんだけど、
祖父が30年近く前に買っていた部屋を使わせてもらうことができたから。
っていう完全おこぼれな理由。家賃は免除してもらってた。

神保町でよく行ってた店が、
「源来酒家」 
ここの麻婆豆腐は絶品で、店の雰囲気は怪しいんだけど、超うまい。
何度行ったことか。当時はいつも空いてたのに、その後取材が増えたらしく
人気店になってた。

[http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000413/:title=
「いもや」] 
天ぷら定食がアツアツでうまい。
値段も安いし、よくお世話になった

「斑鳩」 
まだ10年近く前って、こういうこだわったラーメンが少なかったと思う。
よく通ったし、好きなラーメン。

「ガヴィアル」 
欧風カレー、美味しいんだけど、当時の自分にとっては少し金額が張ってた
イメージ。つけあわせのじゃがいもがおいしい。

「たいやき神田達磨」 
有名なたい焼きの名店。周りのパリパリした部分が良い。よく、土日の昼間に
散歩がてら買って食べあるきしてたのがいい思い出。
たい焼きメインなんだけど、わらび餅もうまい。


振り返ってみると、この頃から、「うまいもの」への探究心がけっこうあったんだな
と思う。確かにエンゲル係数は高めだったし。

この頃は、ほんと遊び盛り。合コンもけっこう行ってたし、どうやって
女の子と出会って何人と付き合えるか、みたいなことしか考えてなかったかも。

仕事は忙しくて平日はほとんど深夜帰り。金曜だけは羽目外して飲んで、
土曜日起きたら夕方、みたいな生活を繰り返してた。


1年目、結局彼女は出来ず、2年目の途中で年上の彼女(Mちゃん)ができた。
彼女はクライアント先に勤めてて、普段は関わる機会もないんだけど、
たまたま飲み会に呼ばれたらしく、そこで一目惚れ。

そこからのアタックは我ながら頑張った方だと思う。若気の至り。

年上の彼女ということもあって、背伸びせざるをえなく、飲食店選びも
結構必死になってた。10年前って、まだ食べログもそこまで活性化してなくて
今ほど口コミ情報なかったはず。直感が頼りだった。


大学のゼミ同期のほとんどは大手企業に入社し、安定したレールに
乗り始めているように見えた。対する自分は毎日深夜残業。少し心折れかけた
時期もあったけど、自分の力で生きていくため、耐えた。

改めて当時の自分を考えてみると、業界人っぽい過ごし方してたな、って思う。
金遣いも荒かったし・・・・見栄張って高いスーツ買ったりもしたし、給料日を
待ち遠しく感じてた。


神保町には、社会人4年目の途中まで住むことになるんだけど、時々タクシーで
通ったりするときに今でも当時のことを思い出す。やっぱり原点になった街。

次に三軒茶屋に引っ越すことになるんだけど、それはまた改めて。

書いてて思い出した、仕事場の赤坂周辺と当時の彼女の住んでた三ノ輪近辺の
飲食店も紹介しようかな、と思うけど、別の記事で。

人それぞれの人生があって、それぞれ思い出があって、
いろんな人のこういう内容知れたら面白いだろうな、って思う。